南三陸町の今!
2017.01.09

1月3日(火)のレポートに戻ります。
女川町から海沿いに移動、神割崎を経由して今回の旅の最終目的地、南三陸町です。
あの2011年3月11日の東日本大震災の大津波で、甚大な被害を被った所です。
実は私、2013年5月に塩さんといっしょにまだ復旧・復興が進んでいない南三陸町を見ています。
それからまた3年半、その復興の状況をこの目で確かめたかったのです。
南三陸町の海沿いの標高の低い地域では土地のかさ上げ工事がどんどん進んでいました。

上の写真は被害を受けた商店たちが臨時の商店街として営業をしている「南三陸さんさん商店街」です!
実は着いたのがちょうどお昼ころになったので、ここで昼食を食べようと思っていました。

しかし、残念ながら、ここにあったすべての食堂、レストランは2016年12月末で営業を止めていたんです。。

また新しい復興商店街で営業を始めるんですね!
ここでは、お土産屋さんはまだ営業をしていたので、お土産の笹かまぼこを購入して帰りました (^_^)

小高い場所では、新しい住宅地の整備が進んでいました!


これ、あの有名な「南三陸 防災対策庁舎」です。

最後まで避難誘導の防災無線放送をここから行っていたのです。
3年前は近くまで行けたのですが、今は立入禁止となっています。(2013年5月の私のブログ
今回は走行中の車からの撮影で、よく撮れていません。
この施設の管理は町から県に移され、少なくともあと20年は震災遺構として保存されることになっています。
今は防災対策庁舎の補強工事を行ってるのだと思われます。

南三陸町の復興、まだまだ先の長い事業なのだな、と感じました。

P.S.
昨日のニュースで、石巻市での成人式のことが取り上げられていました。
その参加者に、確か妹さんを大津波で亡くした女性の方が出ていました。
あの「大川小学校を襲った津波の悲劇」で、津波に飲み込まれたのが妹さんとのことでした。
で、石巻市の大川小学校ってどこかな、と調べてみて、驚きました。
実は私が今回、女川から南三陸に移動の途中、北上川河口の新北上大橋のすぐ近くあった小学校だったのです!
私、何も知らずにこの橋のたもとに車を停め、雄大な北上川の写真を撮っていたのです。。

この写真の右側の方に大川小学校があったのです。
ここで74名もの子どもたちが犠牲になっていたとは、、、事実を知って大変にショックを受けました。
幼い犠牲者たちのご冥福をお祈りいたします。
2017.01.09 19:02 | 固定リンク | 旅行 | コメント (2)

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